海外生活の話

3度の海外生活について

私は人生の中で3度、海外で生活をしてきました。本シリーズ記事では、海外で経験してきたことと、その経験を経て今何を思うか書いていきたいと思います。

特に、これから海外へ行くことを考えている方にとって少しでも参考になれば嬉しいです。

第一回目の記事では、私が初めての海外へ行くまでの背景や海外留学へ向けた行ったことを書いていきます!

私は日本人の両親から日本で生まれて、日本で幼少期を過ごしてきた。多くの日本人の方はこれを聞いたときに『当たり前だ』と思う人が多いのかもしれない。世界を周り今思うことは、

日本人の当たり前は、世界では当たり前ではない。

そもそも、○○人と括ること自体ナンセンスな気がしている。例えば、私にはセルビア人両親を持つドイツ生まれの友人がいるが、この友人は何人なのだろうか?出生国や学校などの環境を考えるとドイツ人なのかもしれないが、両親は二人ともセルビア人である。間違いなく言えることは、ドイツ人両親からドイツで生まれた純ドイツ人と比べて、異文化の価値観を合わせ持っている。

今日の私は世界中の人々と日々話をしているが、相手の機微を見て色々なことを想像することができる。

例えば、見た目が中国人でも英語のアクセントや振る舞いを観察すると中国人両親でアメリカ生まれ育ちなんだろうとか、ドイツ語がNativeではあるが、名前の綴りを見て、親はイタリア人なのかも、などが実際にあった例だ。

恐らく今、日本人の見た目で街を歩いてきた人がNative Englishで話しかけてきても、あまり驚きはしないだろう。それよりも、この人は恐らくご両親が日本人で英語圏で生まれ育ち日本に旅行か何かで来ているのだろう、と思うだろう。

私がお伝えしたいのは「海外での生活は、物事を解釈する尺度のスケールアップに確実に繋がる」ということだ。

日本人の思う当たり前は、世界では全く当たり前ではない。むしろ、かなりマイナーで日本特有の価値観が多いように思える。

海外に興味を持ったきっかけ

さて話を戻すが、私が初めて海外の人と積極的にコミュニケーションをとり始めたのは、21歳の大学生の時である。

それまでは一切海外に興味のなかった私だが、あるきっかけが転機となった。

当時大学3年生で、大学院へ飛び級進学するための試験を受ける権利を与えてもらった。夏に進学試験を受けて、その日の帰りのことだ。

一緒に試験を受けていた友人が、

『先輩が留学終えて帰国したから会いにいかない?』

と誘ってきたので、特に試験後やることもなかった私は一緒について行くことにした。

当時の私は現状に満足しきっていて、何か変化を強く求めていた気がする。

『(私の心の声)海外?今まで全然考えたことなかったけど、面白そうじゃん!聞いてみよ!』

という軽いノリでその先輩の話を聞いた。

その方はアメリカのイリノイ州の大学で1年間留学をしていたらしく、アメリカで感じとったことを色々と話してくれた。

印象に残っている唯一のことは『日本とはスケールが違う』ということだ。

多様性に溢れるアメリカ、自由を尊重するアメリカ、人も物もスケールがでかい、日本では体験できないことだらけ、ということだった。

先輩は1年間の留学を経て、学部最後の一年を英語とエッセイの勉強に捧げ、大学院からは再びアメリカへ行こうと考えていると話していた。

「(私の心の声)そんなにアメリカ面白いの?」

と、当時刺激を求めていた私にとっては十分な起爆剤となったわけだ笑

留学プログラムの活用

アメリカ留学ってお金かかるよなー、何か無料でいける方法ないかなー、、、あった!笑

これまた別の先輩から聞いていた留学プログラム(大学院生専用)で、提携校のアメリカミシガン大学と行なっていたものである。これであれば、行き帰りの飛行機代と着いてから1ヶ月間のホテル代、それに毎月返済免除の奨学金がもらえるという、素晴らしいものだった笑

しかも、私の1つ上の年代が最後の年だったらしく、大学院へ飛び級進学したことで滑り込みセーフ!で応募が可能になるという奇跡が起こる笑

と言ってもこの後、プログラム選別の書類選考や受け入れ先の教授を見つけるなど、まだ色々とやることはあるのだが、ひとまず目標は決まった!

英語学習開始!– 渡米まで11ヶ月

夏の大学院試験を無事突破した私は入学まで半年、英語の勉強に力を入れた。(私の具体的な勉強方は別記事に記載します!)

先輩から、会話のコアとなるspeaking, listeningをより伸ばしたほうがいいね、とアドバイスをもらっていたのもあり、とにかく英語を話す機会を探した。

そこで、留学生チューターなるものを見つけた。これは、私の通う大学に留学生として来る海外学生達のお世話係みたいなものだ。

チューターの経験年数によっても異なるが、基本はチューター1人に対して留学生1人がペアとして割り当てられる。

事務局からメールで担当となる留学生の名前が事前に知らされる。当時の私は名前からでどんな系統の人かを推測するなどということはもちろん出来ない笑(今でもまだまだ海外の名前は難しいが笑)

大部屋にチューターと留学生が集合して、順に名前が呼ばれる。そこで留学生と初対面し、一緒に外に出ていくという形だ。

「(私の心の声)何かの合コン番組みたいだな笑」

と思いつつ、私も無事担当の留学生と初対面した。

初めての英会話

私の最初の担当はイタリア人の女性だった。

外のベンチに一緒に座ってお互いに自己紹介した。留学生のお世話といっても、何をするかは全く持って自由だ。

週何日会って、何をするか、日本語の勉強を手伝ってあげてもいいし、一緒に遊びに行ったっていい。

私は週2、3日曜日を設定して、日本語を教えたり、お昼ご飯を一緒に食べることにした。

まずここで話しておきたいのは、私の初のちゃんとした英語でのコミュニケーションだが、、、

まじで汗だらけ笑

白シャツの首元が汗だくになってたのを覚えているwww

だって、相手が何言ってんのか分かんないんだもん笑

日本の教育だけで、英語を今まで勉強してきたと思っているそこのあなた!笑

会話全然出来ないもんですよ笑

まあそこは気合いで乗り切る私なので、なんとか会う日にち設定と日本語の勉強をしようということだけ設定して乗り切った笑

今思えば、相手もイタリア人で、そんなに英語が得意でないと自ら言っていたぐらいなので、まあ色んな意味でちょうど良かったのかな笑 お互い英語べたということでwww

ただ、当時の私にとってはその子の英語レベルは圧倒的に高く感じた、これまじで!笑

今の私が当時の場面を見たら、なんだこの低い英語レベルはとなるだろう笑

まあともかく、その日に冷や汗をかく貴重な経験をした私は学校の行き帰りや暇な時間に英語を聞いたり、私の好きなアメリカドラマFriendsを見るようにして、英語力の向上に努めた。

そもそも、英語で日本語を教えるから、ものすごい英語の勉強になるんですよ、こっちとしては笑

ここでポイントなのは、日本語レベルが高すぎない留学生を選ぶこと。相手の日本語レベルが高いと日本語でのコミュニケーションになってしまい、自分の英語の練習にならない。なので、私はチューターに応募する際に”『Japanese : beginner』の留学生希望で応募をしていたのだ。

回を重ねるごとに『これって英語でどう言えばいいのだろう??』が増えてきて、その都度調べる。というのを重ねて、ボキャブラリーも一気に増えていった気がする。

私はよく『自らを成長させるために自らをジャングルの中に放り出したい、そういう環境設定をしたい』と考えているが、この時は少しそれに近いものがあった気がする。1番これを感じたのはもちろん初めて渡米した時だが笑

なぜなら、イタリア人の子と話している時は会話が英語でも、あくまで周りの環境は日本だ。お店での注文も、事務手続きも全て日本語になってしまう。アメリカではこれが全部英語だ。比較にならないのは言うまでもない。

大学院進学 & 初のオンライン英語面談 – 渡米まで4ヶ月

さて、そんなこんなで半年すぎ、無事大学院へ進学した。それから留学プログラムへ応募して、選考を無事突破した。

夏には渡米することになる訳だが、それまでに自分を受け入れてくれるミシガン大学の研究室を見つけなければならない。

方法は至ってシンプルだ。候補となる教授を見つけてメールを送る。その後、positiveな返事が返ってきた場合は、オンライン面談を行い教授と直接話す。それを経て受け入れ合否が決まる。

英語での会話の練習を多少積んだとはいえ、まだまだ英語レベルに不安のある私は、面談で勝負をすべきでないと考えていた。

過去にこの留学プログラムで日本学生を受け入れた実績のある教授をリスト化し、その中きら研究内容をホームページを見て調べて候補を絞っていった。

第一候補に上がった教授は台湾人の方だった。しかも、私が当時所属していた日本の研究室の教授と繋がりもあった。ということで、メールを送る前に、日本側の教授に事情を伝えておいた。なんとしてでも留学行きたいという熱意をアピールしておいた。ちなみに教授の好きなお酒も献上しておいた笑

その後メールを送り、自己紹介、どんな研究に興味があるか、日本側の教授との関係など、可能な限り簡潔に書いて送った。

そもそも、英語でのオフィシャルなメール送るの初めてやねん!笑

まあGoogleさんがなんでも教えてくれるんで、定型文に則りましたww

そして数日後、メールが返ってきた!しかもpositiveな返事!!キタコレ!!!

面談日時の希望を出され、後日面談することになった。メールの中には『Prof.○○から話は聞いたよ』と、日本側の教授がさりげなく連絡をとっておいてくれたみたいだ!教授ありがてぇぇ!!!笑

ということで、面談の中で話す内容は頭の中に事前に叩き込み、緊張をたくさんしながら面談に臨んだ。

面談は、受け入れ先の研究室に所属する学生が私と教授を繋いでくれた。

初めて教授と話をした私、最初の挨拶を乗り越え、自分の興味のある研究内容の話しを進めた。その後いくつか質問されたが、うまく回答できた自信は全くない!笑

正直聞き取れなかった😭

教授との面談を終えて、会議を繋いでくれた向こうの学生と2人になった。『どうだったかな?上手く話せなかったなー』と私が言うと『心配ないよ。大丈夫だと思うよ👌』と言ってくれた。これがお世辞なのか海外のコミュニケーション文化が全く分からない当時の私は、不安で仕方なかった。

翌日メールで、受け入れOKで、受け入れるためにあたっての書類交換など具体的な話に進んでいった。

よっしゃーーー!!!!!

運も実力じゃあ!!!!とsuper positiveな私ではあったが、流石に周りに助けてられまくった私であり、英語力の足りなさを痛感したため、渡米まで2ヶ月更に英語を勉強していった。

宿泊宿探し – 渡米まで2ヶ月

これで無事留学出来ることになった訳で、パスポートの発行とか諸手続きも済ませることは重要なのだが、それと同じぐらい重要なのが、宿を探すことだ。

私は半年アメリカのミシガン州に留学したのだが、この留学プログラムでは、初めの1ヶ月間だけはホテル代が支払われるが、残り5ヶ月間の宿は自分でなんとかしてくださいというものだ笑

もちろんお金をかけたくない私は、シェアハウスを狙っていた。アメリカ学生はシェアハウスが基本で、大きなアパートの中で各々の部屋と共用スペースがあるような形が多い。

アパートメントの家賃を一緒に住んでいる学生で折半する。

もちろんシェアハウスをするには、現地の学生に知り合いがいないと話にならない。

だから、渡米してから1ヶ月の間に勝負をつけようとする人もいるが、住む家が見つからなかった時の危険性が高すぎる。

そのため、多くの人は留学前からツテを使ってミシガン大学の学生で留学期間に一緒に住んでくれる人を探す傾向にあった。

私は当時、同じ留学プログラムでミシガン大学から日本へ来ていた学生と知り合い、その友達から私の留学期間に部屋が空いている友人を探してもらった。半年間の留学生は正規の学生と比べるとシェアハウスへの応募に受かる可能性は低い。単純に期間が短いからだ。結局、渡米までに宿は決まらなかったが、いくつかの候補を手に、アメリカへ行ってから宿を決めることにした笑

初海外!いざアメリカへ!

そしてついに初の渡米の日が来た。

初めての出国審査、初めての10時間以上のフライトを経験して、日本を出た。

同じ留学プログラムの6人で一緒に行動していた。

デトロイト空港へ着いて入国審査での質問を無事終えて荷物を受け取る。

そして、、、何故かさっきまで一緒にいた仲間達と逸れる笑

迷子になりましたwww

いやー、これぞ求めていたジャングル環境よ!と言わんばかりに、心を落ち着かせ、ひとまず宿泊先のホテルへ向かうことにした。

どうせ皆向かうとこ同じだし!と笑

どうやってホテル行けるか空港の職員に聞いてみることにした。すごいがたいの黒人POLICEに迷ってることを伝えると親切に空港職員のおばさんのところまで案内してくれた。

そこで、タクシーとバスの行き方を教えてもらった。バスには予約システムやらなんやらあるらしく聞き取れなかったわたしは、タクシーを選択!今思えば絶対バス使うわ笑 圧倒的に安いもん笑

とまあ、初アメリカでタクシーを使いホテルまで向かう。

タクシーの運転手とたわいもない話しをしながら、ホテルまで到着。

チップも含めて支払いを済ませて、無事ホテルへ到着!なんと一番乗り笑

受付のお兄ちゃんに事情を伝え、先に部屋に入れてもらった。

ホテル到着 – スケール半端ないアメリカ

その後皆が来るまで外を軽く散歩した。ホテルまでの道中でも思ったけど、道広いわ、車でかいわ、看板でかいわ、もう全部デカイwww

これぞUSA!って感じよ笑

その後ホテルに戻り受付のお兄ちゃんと色々と話ししていた。半分ぐらいわからなかったけど、まあいい。とにかく会話する笑

そんなこんなで皆が到着!

皆が合流してようやく一安心笑

ホテルは2人部屋なので、自分とペアになる人と一緒にホテルの部屋へ。少し休憩してから、夜ご飯を皆で食べに行くことになった。

夜7時過ぎに外へ出て近くのハンバーガーショップWendy’sへ!

バーガーうまいね!さすがアメリカ笑

でもこれ毎日は体壊すよwwwと思いつつ、皆がアメリカ着いてから感じたこととかお互い話し合った。

帰り道夜9時前外に出ると、まだまだ明るい笑 日本で夜9時でこの明るさはあり得んよなってぐらい、明るかった真夏のミシガン笑

そんな日本では経験できないことだらけの経験詰め合わせパックの1日を終えた私は無事眠りについた。

次回記事では、アメリカでの初体験だらけの経験談を書いていきますのでお楽しみに!

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